デジタルデバイド? ― 発端は忘れ物

 先月、福知山へ出張したときの話。朝、バスの回数券で降り、二条駅へ向かう。少し違和感を覚えつつも、次は駅でゴソゴソと切符をあさり、改札をくぐる。ホームで特急列車を待つ間、スマホを、スマホを…? …ない。ない!? 何となく感じた違和感は、これだったのだ。
思い返せば、前の晩に充電をし忘れ、朝にあわてて充電をしていたら… そのまま忘れてしまったという始末。私のスマホはiPhoneだが、一度購入すると長く使う性格なので、もはやiOSのアップデートも非対応の機種。バッテリーも交換せずに購入したままで使用しているので、消耗も早い。最近は寒さもあってか、特にバッテリーの減りが早くなってきた。ん? 何かこれに似た文章を書いた気がするな?? ※「はなのぼう」2022年5月号参照

 さて、スマホがないとなると連絡を取りづらくなるが、もしものことを考えると「忘れた」という事実は職員に伝えておく必要がある。ホームで公衆電話を探すも見当たらず。迫り来る乗車時刻。こらあかん、と諦め、おとなしく列車に乗り込んだ。
 列車は京都市内を抜けると、徐々に田園風景が拡がってくる。昔、園部の友人は学校から帰るときに「汽車の時間があるねん! ごめんな!!」なんて言ってたなぁ、と思い出す(※本当は「気動車」だと思われます)。ふと、前の座席テーブルに貼ってある、中国語や韓国語など多言語のQRコードが目についた。スマホで読み取ると、それぞれの言語に対応した列車の運行情報のWebページへとつながる仕組み。また車内放送では、経路検索や駅情報、クーポンなどが確認できるアプリの宣伝。普段ならQRコードも車内放送もさほど気にならないと思うが、いざ自分が「使えない」立場になると、その先の便利な情報から取り残されたというか、なんとももどかしい思いがした。
 ちなみに福知山駅前の公衆電話から「忘れた」という連絡も無事にできた。以前、公衆電話が使えない若者について話題になっていたが、心配ご無用。何ならテレホンカードもまだ持っている。
 父の急逝に始まり、ドタバタと終わりそうな一年。家で待っていたスマホのように、来年はフル充電で頑張れますように。

(はなのぼう12月号より)