京都ライトハウスでの音楽活動

元 ハムスターズ 代表 北脇圭二

1980年(昭和55年)は、京都ライトハウスの第1次館内整備も終了し、利用者の使用できる部屋も増え、体育系では、トレーニングルームで盛んにアスレチックがおこなわれており、音楽系統でも何かを始めようと、京都盲人アマチュア無線の仲間に呼び掛け、興味のある方に楽器を求めてもらい、、初めて楽器を持つ人を含め、楽器のイロハから始めることになり、結局、全盲が4名、弱視が3名、正眼のサポーターが2名の集まりになりました。

そして1981年昭和56年2月11日、ハムスターズと名付け、活動を開始することになりました。最初から、指導者もなく、楽譜の読めるものもないグループでしたから、メンバーの耳を頼りに、日ごろ耳なじんでいるメロディーを合わせることから始め、それの積み重ねで、完成された曲に仕上げる方法でバンド活動を続けてきました。

私たちの初舞台は、1980年12月14日に行われた、京都ライトハウスのクリスマスの集いで、名もなく・腕もなく楽器もそろわない悲惨な、おおちゃくなことでしたが、その時演奏した曲は女の意地、別れても好きな人、赤いグラス、雪が降るの4曲でしたが、会場からの声援が、それからの演奏活動の励みとなりました。

私たちの演奏は、懐かしい歌謡曲、耳なじんだビリーボーンの曲やポールモーリヤのポップスのコピーなど、中高年を対象にしたものばかりでした。また、聞き手の方も、若者より中高年の方々が中心で、踏んだ舞台は、京都ライトハウスを皮切りに、京都会館、京都教育文化センター、伏見の呉竹文化センター、大谷ホール、本能寺会館、京都オークラホテル、それに、いまわなきサンフラワーホテル、ホリデーイン京都、京都府鍼灸マッサージ会館、京都市エンジェル会館、亀岡にある・関西盲導犬協会特設ステージ、八木にある高齢者施設・ラボール八木、京都府太陽が丘公園特設ステージ、西京極国体特設ステージ、さらに鳳徳小学校をはじめ長岡第8小学校、安井小学校、城陽の寺田小学校、大山崎第2小学校、大鳳小学校など、地域のお祭りや団体の大会をはじめ、いろいろな形でのイベントにお呼びいただき、本当にうれしく思っておりますが、よくもまあ、こんなにこなしてきたものだと我ながら感心しています。

現在のレパートリーは、手がけた曲が、256曲、セレクトしたタイトルは110曲ほどになっています。

あれから40年、京都ライトハウスを拠点として内外、400回近い舞台を踏むことができましたのも。それは前半期は、京都ライトハウスのマイクロバス、愛の翼号のおかげ、後半期は、親切な赤帽さんのお力添えがあったればこそと、深く感謝いたしております。

ふりかえってみて、長きにわたりバンド活動を続けてこられたのは、メンバーが、健康で入れ替わりがなかったこと、生活環境にさほどの変化がなかったことなどがあげられますが、なんといってもメンバーが音楽好きで、お互いが思いやりをもって接していたことではないでしょうか?

それにも、まして、なんといっても、つたない演奏にお付き合いいただいた皆様のおかげと深く感謝いたします。

おしゃれなお揃いの蝶ネクタイでダンスパーティーの演奏