今回は、船岡長寿サロンで活躍されている方を紹介いたします。

 黒住康晴(くろすみやすはる)さん、囲碁サロンをはじめ多くのサロンで活躍されています。囲碁の振興・交流に尽力され、昨年「第1回十三路盤囲碁京都交流会」を中心となって開催され、障害の有無や、地域、年齢などを超えての交流を実現されました。今年もその交流会は続いており、全国からリピータの方も含めて大勢が集まられました。

盛況だった囲碁交流会

 

 その黒住さんから、半生を振り返るコメントを広報委員会に頂きました。

 私は75歳です。網膜色素変性症で、現在はほとんど全盲に近い状態です。直径30センチ位の丸いお盆を顔面に貼り付けられたような感じです。お盆の周りから光が入ってくるのと、かろうじて真下が10センチ位の幅でモノがぼんやりと見えますが、文字を読むことはできません。
 目が見えていた時は、山科区の自宅から京都ライトハウスまで55分で通えましたが、現在では、70分かかるようになりました。それでも、何とか、独りで通うことができます。
 私は、60歳の定年後も嘱託として会社勤めをしていましたが、61歳の時に退職しました。
その時は、視野は狭いながらも、仕事は十分できたのですが、目がいずれ見えなくなることがわかっていましたので、目が見えている間に、できることをしておこうと考え、退職しました。
 これまでやったことのないボランティアをしたいと考え、インターネットで調べて、老人ホームを慰問している劇団を見つけました。「発起塾」と言って、大阪、京都、神戸、名古屋を中心に活動している50歳以上の素人ミュージカル劇団です。訳もわからず飛び込んだのですが、京都の慰問チームは10人でしたが、男性は私ひとりであとはすべて女性だったのには驚きました。
 慰問チームに入って早々、老人ホームでの慰問公園を見学したのですが、見ているお客さんが皆大笑いして楽しんでおられました。これには、私も感動して、それからはこの劇団にはまってしまい、一生懸命稽古に励むようになりました。ミュージカル劇団ですから、当然、ダンスもすれば、歌も歌います。芝居もダンスも経験がなく、歌も上手ではありませんでしたが、やっている内に、羞恥心がなくなっていき、どうすれば観客に喜んでもらえるかが最優先になりました。
 と言っても、慰問チームが演じる芝居は、正しく「お笑いミュージカル」でした。私は「シンデレラ」の芝居の王子役を百回以上演じました。おなかが出張った王子が棒だけの木馬にまたがって舞台に登場するだけで、お客さんは大笑いしてくれました。腹話術の人形役も当たり役になりました。
 東日本大震災の発生後3年目から3年間続けて、宮城県石巻市に慰問公園に行きました。各地の劇団員の有志が集まり、総勢30名ぐらいでしたが、10名ずつのチームに分かれて、約1週間、仮設住宅の集会所を回って、慰問公園を行いました。仮設住宅の集会所は、八畳位の狭い場所でしたが、お客さんのすぐ目の前で歌ったり、踊ったりで、お客さんも一緒に参加して頂き、とても楽しい公園になりました。
 老人ホームでも同じことが言えるのですが、元気を届けたいと思って公園を行うのですが、最終的には、いつも、こちらの方がお客さんから、二倍も三倍もの元気を頂きました。
この慰問チームには約10年所属しましたが、最後は眼が見えなくなって、辞めました。2022年には盲目の老人役で大きな舞台に出演しましたが、視覚障碍者が視覚障碍者の約を演じるのは、難しいものがありました。この舞台を最後に現役の役者は引退しました。私としましては、やりきった感があります。今でも、時々、素人芝居の脚本を書いています。
 さて、61歳で仕事を辞めたあとは、京都ライトハウスの鳥居寮に2年間通って、音声パソコンと点字を学習しました。パソコンをブラインドタッチで入力することができるようになったので、脚本を書く時に役立っています。
 点字の方は、何とか予測読みができるようになり、文章はある程度読むことができるのですが、一字をちゃんと読むことができない時があり、特に数字を正しく読むことができないのが困りものです。
鳥居寮を終了したあと、何をしようかと考えた結果、京都ライトハウスにあるサロンやサークル活動に少しずつ入っていきました。

十三路盤

 現在、サロンでは、囲碁、和太鼓、英会話、川柳、点字に、サークルでは、俳句、オカリナ、ゴールボール、点字に入っています。京都ライトハウス以外でも、山登りの会と近所の俳句の会にも入っていますので、二日に1回は外出しています。
 これだけたくさんのサロンやサークルに入っていますと、ひとつのことに専念することができません。教えて頂いている先生方には申し訳ないのですが、いつも練習はサロンやサークルの恵子の時だけということで、勘弁してもらっています。
 私も性格的にひとつのことを続けてすることが苦手でして、目先を変えて色々なことをするのが正に合っているようです。目の見える人はオカリナを吹く時に、楽譜にしがみついていますが、私は、楽譜からは解放されています。ただし、練習不足ですので、音を間違えて吹いてしまいます。
 俳句を作る時、ものをよく観察して表現しなさいと言われますが、観察しようにも観ることができませんので、それを逆手にとって、空想を駆使して、俳句を作ればよいと考えています。私が作る俳句には、時々、幽霊や妖怪も登場します。
 さすがに、囲碁は眼が見えないと不便ですが、やっている内に頭の中に、碁盤と碁石の配置図を描くことができるようになってきます。ただし、私の配置図はまだまだ不完全ですが…。去年から囲碁サロン主催で十三路盤囲碁京都交流会を京都ライトハウス関係者のご協力を得まして、毎年開催しています。東京や富山など、他地域からも沢山、参加してもらっています。こういう会を開催すると、色々と準備が大変ですが、人の交流の輪が広がります。
 会社を辞めて約10年で目が見えなくなりましたが、私の場合は、失明することがわかっていましたので、徐々に現実を受け入れることができました。失明が定年退職後であったことも、幸運だったと思います。
 目が見えないのは、とても不便です。ただ、そのことを儚んでも、どう使用もないことなので、自分にできることを楽しもうと考えるようになりました。
 沢山のサロンやサークルに入ったことで、多くの仲間ができました。気が付いたら、いつの間にか、人見知りでなくなっていました。
 数か月前に、京都国立近代美術館主催のインテリア家具の芸術作品の鑑賞会に参加してきました。視覚障害者には、美術鑑賞なんてできないと思い込んでいましたが、初対面の周りの晴眼者の人達が作品について、言葉で丁寧に説明してくれました。見てもいないのに、なんだかわかったような気持になるのが、とても愉快でした。また、同じような催しがあった時は、是非、参加したいと思います。
私は、人に自慢できるようなことは何もしていませんし、特別な才能もありませんが、それなりに楽しんでいます。中途失明のせいで、家に引きこもっておられる方にお伝えしたいのは、是非、家の外に出て、自分で楽しめるものを探して、見つけてほしいと言うことです。

西京区で太鼓サロンの発表

 京都ライトハウスには20以上の趣味のサロンやサークルがありますので、きっと自分に合った趣味を見つけることができると思います。京都ライトハウスに相談して頂ければ、きっと、よいアドバイスをしてくれると思います。

以上