第67回 「今宮神社境内」
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みなさまこんにちは。ほっこりHOT千北です。
第67回目は、「今宮神社界隈シリーズ 第三弾」です。いよいよ本命の神社内に入ります。改めて、今宮神社は、千本北大路から東北へ歩いて15分弱。京都市バスなら46号系統で「今宮神社前」でピンポイントに到着します。
今宮神社の地には、平安京が建都される以前から疫神を祀る社があったと言われています。都が栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祇園社など各地で盛んに御霊会が営まれました。正暦五年、都の悪疫退散を祈り御輿を造営し船岡山に安置して、紫野御霊会を営んだのが「今宮神社」の起こりとされています。
この時、都中の人が船岡山へ登り、唄い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれ、後の京都三大奇祭の一つと言われる「やすらい祭」へとつながったようです。花傘を先頭に、牛や山車、氏子さんたちが様々な装飾でお囃子に合わせて踊りながら、神社を起点に氏子区域をくまなく回られます。
ここからは、境内をゆっくりめぐってみました。「大鳥居」や「おもかる」、「玉の輿」、「あぶり餅」など興味深いポイントがいっぱいでした。
桂昌院(けいしょういん)の像に出会いました。諸説ありますが、彼女は、『玉の輿』という言葉の起源にかかわる人です。江戸時代、西陣の八百屋さんの娘・お玉さんが大奥につとめ、徳川三代将軍・家光の側室となり、五代将軍となる綱吉を産んで、従一位まで昇りつめました。晩年は至福のうちに79歳の生涯を閉じたとされています。今宮神社は、江戸時代には荒れており、彼女はこの復興に尽力されて「やすらい祭」も盛況となった旨が像の下に記されていました。
現代にいたっても「今宮さん」と呼ばれ、地元の人々から愛されているこの神社は、こういった今に至る長い歴史を背負ってきているのだと、訪れて境内に在る様々な資料や様子などを見ながら改めて感動しました。