朝の出勤時、集団登校する小学生たちとよく一緒になります。上級生が小さな子どもたちの前後について登校する見慣れた光景。思い返せば私の子どもも、小学校入学後、6年生の後にちょこちょこついて登校していたのに、いつの間にやら列の前にいて、後ろに続く1年生を気遣いながら登校していました。

こうした光景が繰り返され年月が経っていく。昨日、今日、明日がいつもどおり過ぎて行く。これが幸せなことなのかは、いろいろな状況の方がおられるので一概には言えません。ただ、このありふれた日常、この延長上に多くの人が未来を描き、そしてこのありふれた日常が実は多くの人々の働きによって支えられ、自分もその中で暮らせていることに気付けば、やはりこれは、ありがたいことです。

震災報道が続いています。日常が突然途絶え、重い現実と深い哀しみに直面されている方々の姿に、言葉もなく無力感がこみ上げてきます。軽々しい発言も行動もできません。我々にできるのは、彼の地も含めて全ての地域に一刻も早く日常が戻るよう、発生しているニーズを正確に捉え、我々のスキルで可能なことに取り組むことしかありません。

現実は理不尽です。皆が幸せに暮らせる世の中など幻想かもしれません。しかし現実はどうであれ、人が互いに手をさしのべあう世の中でなければ、結局のところ誰も幸せになりません。

視覚に障害がある方の読書に手をさしのべること、これが情報ステーションの原点です。今、この原点の幅を拡げることに、躊躇はありません。

(五十嵐 幸夫)