「わかったつもりのかたつもり」第4回は、情報制作センターで点字校正をされている松村さんに、これまた同じ情報製作センターで働いている的場さんが質問します。

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〈松村さん〉

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〈的場さん〉

的場 今日はよろしくお願いします。

松村 よろしくお願いします。

的場 まずはじめに、松村さんの今の視力の状況について、教えてもらえますか?

松村 今は左右ともに全く見えません。それまではロービジョン(弱視)でした。

的場 そうですか。自分自身がロービジョンであることに気付いたというか、意識したのはいつ頃でしたか?

松村 はっきりとは覚えていないのですが、小学校に入るころでしょうか、車に乗せてもらっていて、普通に見えたら、左右のサイドミラーってすぐに見えますよね。それが私には見えなかったんです。それで「あー、見えないんだな」ってことを感じました。

的場 見えにくい中で学生生活をやってこられ、大学の時に突然全く見えなくなったとのことですが…。

松村 そうなんです。朝起きたら、目の前が何か曇っている感じで…、それでも数日間は大学に通ったんです。階段から転げたりしながら、数日間過ごしたんですが、だんだんとその曇りがひどくなってきて…、そして何も見えなくなったんです。

的場 その時はどのような気持ちだったのでしょうか?

松村 「え!!」って感じでしたね。全く見えなくなるってことは、知らされていなかったですからね。まあ、今と違って、何もかも伝える時代じゃなかったから、しかたないところはありますけどねえ。目の前が曇り始めたころは、とても怖かったですよ。中途半端な見え方になるわけですから、もっと見ようとする気持ちばかりになって、今なら何気なく使っている聴覚や触覚なんて感覚にまで気持ちがいかない。人にもよるでしょうが、ある一定の視力を下回ってしまえば、これなら見えないほうが楽だろうなと感じる段階があるんでしょうね。曇り始めたころは、ちょうどそんな時期だったんだと思います。

的場 そんな中でも、色々なところに移り住んでこられたということですが、簡単にご紹介お願いできますか。

松村 愛知県生まれで、中学・高校は東京。大学は神奈川県。その後埼玉県で就職しまして、東京に戻りマッサージの免許を取得しました。京都にきてからもマッサージの勉強は続けてきて、そして今に至っています。

的場 ご家族もご一緒に引っ越されていたのですか?

松村 いえ、一人です。

的場 それで、4年前から暮らしておられる京都は今まで住んできたところと比べていかがですか?

松村 人も親切ですし、他の地域より暮らしやすいように感じます。

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〈会話中のお二人〉

的場 昨年からは京都ライトハウスで勤めておられるということですが、お仕事はいかがですか?

松村 私は点字の本の出版に関わる仕事をしていますが、点字の校正などでは神経も使いますし、いつ点字本の注文がくるかわかりませんので、忙しさの波があって、なかなか大変ですね。でも、点字本を通じて、利用者の方々から喜ばれたりすると、うれしいですし、やりがいも感じます。

的場 同じ部署で働いていて、いつも気になっていたのですが、松村さんが会議などで使っている点字ディスプレイってどのような機械なんでしょうか?

松村 晴眼者なら、ノートや紙に会議のメモなんかを書きますよね。私はそれを点字で、このディスプレイに入力します。いわば点字の電子手帳です。点字で入力したものは、点字でディスプレイに表示されますので、後からでもそれを読み返すこともできます。

的場 例えば今日の予定だとか、必要な箇所を探し出すなんてことは、やはり大変なんでしょうか?

松村 そうですね、私たちのように見えないと、全体がわからないので、その中からすぐに目的のものを探すということは大変なことです。見えたら「一目瞭然」なのでしょうが、私たちはディスプレイの点字を少しずつ触って「ここにあった!」という具合に探さなければなりません。ですので、結構「検索」という機能も使います。点字の電子手帳ですので、いわばコンピューターです。検索機能を用いて、自分の探したい箇所をディスプレイに表示させて確認しています。

的場 もう一つお聞きしたいのですが、人の声と名前はどういう風に覚えるのですか?私は人の顔と名前を覚えるのが苦手で、いつもどうしようか、と悩んでいるのですが…。

松村 見えていれば、顔とか、髪型とか、服装なんかの視覚的なイメージが、その人の名前を憶えていくのにヒントになっていくこともありますよね。そりゃー、声だけで覚えていくのは、なかなか大変ですよ。もちろん話している内容だとかで、その人が誰か推測することもできたりしますが、どうしてもわからない時は正直に「どなたでしょうか?」と尋ねるようにしています。見えないから聴覚がよくなるというわけでもないので、時間をかけて覚えていくということしかないんでしょうね。視覚にハンディがある人にとって、この「時間をかけていく」ということが、いろんな場面で大切になってきます。視覚障害になりたてのころは、時間のかかる生活に慣れるということが結構難しいのかもしれませんね。

的場 なるほど。全く見えなくなってから、体感する時間の流れというか、時間感覚のようなものが変わったのでしょうか?

松村 変わったと思いますし、変えざるを得ないところもありますよね。歩くスピードも、安全上以前よりゆっくりしないといけないし、駈け込み乗車なんかもできないし(笑)。やはり少しずつ変わってきたのだと思いますよ。

的場 松村さんは趣味でマラソンをされているとのことですが…。

松村 友人に誘われて、5年ぐらい前に始めました。座って何かをするということが多かったので、マラソンをするようになってから、変な話ですが、坐骨神経痛がよくなってきたような感じがします。私たち視覚障害者は、晴眼者の伴走者と一緒に走るわけですが、そのような中で多くの人とのつながりもできましたし、妻とも出会うことができました。

的場 へえ、そんなこともあるんですねえ。新婚生活はいかがですか?

松村 おかげさまで何とかやっている、というところでしょうか。

的場 松村さん、今日はありがとうございました。

松村 こちらこそありがとうございました。