はなのぼう 2008年01月20日号
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 13年前の1月17日火曜日の早朝、阪神淡路大震災が勃発してから丸13年がたちました。今や寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」は昔語りとなり、忘れる間もなく天災が襲ってきています。

 このときの私は、何とか勤務先の大阪の日本ライトハウスにたどり着き、崩れた大量の点字の原版や壊れたものを片付けるかたわら、震災直後に川越利信(かわごえ としのぶ)さんが結成した視覚障害被災者支援活動「ハビー」に加わって大阪に寝泊まりし、京都から乗っていった自転車で、視覚障害者の安否確認やいろいろな支援に、何度も大阪と神戸を往復していました。

 そのとき、ネックになったのは「障害者の個人情報は出せない」という神戸市などの壁でした。やむなく独自で施設や盲学校で視覚障害者の情報を集めては、確認と支援に向かっていました。

 視覚障害の方々を探し回りましたが、多くの方々が避難場所にいません。

 一旦は、近所の人が避難場所の学校などへ連れて行ってくれました。でも、夜中にトイレに行くときなど、大勢の人がいて身動きが取れない部屋の中よりは、足を踏まなくて済む吹きっさらしの寒い廊下に寝泊まりせざるを得ず、中には肺炎にかかった人もいました。

 それよりは、空が見えて冷たい雨や雪のかかる半壊であっても、自宅にいた方がまし、という方が多かったのでした。弁当などの支給にしても、張り紙だけで、みんなが被災者で自分のことしか考えられない中では支援も期待しにくいためでもあったのですが、自宅では支援の輪からよけいに離れてしまうため、冷蔵庫の中も空になって、食料を持って行ったこともたびたびでした。

 そして今、個人情報はもっと困難になっています。一部で行われ始めた支援の必要な人マップ作りも、本人の同意を得てからだと不完全です。ボランティア活動も含めて支援が充実しても、支援対象者が分からないとどうしようもありません。緊急の場合に向けて、支援の必要な障害者の居住地程度の情報だけでも開示できる準備が求められています。(加藤俊和)