*全盲であるぼくが作品を発表するようになって、かれこれ20年近くになる。
粘土から始まり、ラインテープとカッティングシートを使って描く時代が長かった。
色を使うことは見える世界への憧れでもあり、晴眼者へのサービスでもあったように思う。

昨年あたりから、さわることに特化した作品を作り始めている。
今、転機の真っ最中なので、はっきりしたことを言う時期ではないだろうが、H・G・ウエルズの『盲人国』を読んだことは大きく影響していると思う。
そして、9月21日に始まる甲南大学での展示に向け、次のようなテキストを書いた。
合わせてお読みいただければ、今のぼくの動線をたどってもらえることと思う。

最近ある男性に
「さわるためにだけ存在するものって何だろう?」と質問すると、
「そりゃあ、アレに決まってるやろう」といういやらしそうな声が聞こえて来た。
これを一人の男性の他愛ない発言として見過ごすことはできない。
そのような言い回しによって視覚障害者の「さわる」という観察や認識、感受性がどれほどおとしめられてきたか。
ぼくは、そのような一般的な価値観によって何度も何度も繰り返し行き詰まりを経験してきた。
今回の作品は、そのようなもはやぼくの中にまで染み込んできている「さわる=いやらしい」という美意識を、根底から覆したいと思いながら制作を始めた。

点字は、さわるためにだけ意味を持っていると言っても過言ではないだろう。
そのような価値観を持った作品を提示したいと思っている。

 ここまで読み進めていただくと、
「光島は、芸術家として食っていけてるんやろか?」
という疑問が出てくるだろう。ぼくは、今も鍼で生活費を稼いでいる。多くのアーティストが、アルバイトや副業を持っているように、ぼくもずっと二足の草鞋だ。
そしてこれからもアートに転職することはない。なぜなら、鍼もアートだと思っているから。

1.不安な気分
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2.重い空気、あるいは違和感
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3.今にも飛上がりそうなうきうきした気分
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4.幸せなところに戻っていく
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5.上記の触覚コラージュ4枚(斜めから撮影)
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6.組曲と触覚コラージュ3枚を引きでおさめたもの
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過去の作品や展覧会情報などは、

でご覧ください。

光島貴之・・・美術家・鍼灸師

1954年、京都生まれ。先天性緑内障で10才頃失明。

1995年、カッティングシートやラインテープを用いたスタイルで「触る絵画」の制作を開始。

見えていた頃の記憶をたどりながら色を選び、何気ない日常の中から、さわる世界のおもしろさを表現している。

触覚や音に注目することで、見ることを問い直す「タッチ・アート」ワークショップを企画。